速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

2015-07-07から1日間の記事一覧

守久の最後

守久は全ての責任をとって大坂城落城と共に殉死したのである。守久姪の千を徳川陣営へ送り届けた後、大阪夏の陣前より島津と謀っていた通り、守久が大阪の役の為に声掛けし参戦してくれた客将ら命と共に、主君秀頼を薩摩の船に乗せ脱出させたのである。大阪…

淀はいとこ

淀は、速水守久の義従姉である。織田信長の妻『濃姫』が守久の伯母さんである故、淀の両親浅井長政とお市夫婦は、守久のおじさんおばさん(義伯父母)である。浅井長政家臣であった守久父『時久』は、浅井家家族とは義兄弟。守久が幼少の時は、2つ3つ年上…

徳川秀忠はいとこ

徳川秀忠は、速水守久の義従弟である。千姫を救出した守久は、徳川陣営で秀忠より褒美『馬具一式、金、槍』をつかわされている。大坂城天守閣落城前日、徳川家康は、後藤又兵衛の槍に突かれて絶命していた為、家康不在となっている陣に守久は千を連れて到着…

秀頼は甥っ子

豊臣秀頼は、速水守久の義甥子である。秀吉の命で籠の中の鳥のごとく成長した秀頼には、知性はあれど戦火兵どもと交える器量が無いこと知っている守久は、山里曲輪につくられていた秘密地下廊から内堀を抜け京橋口から秀頼を薩摩藩の船に乗せ逃したのである…

千姫は姪っ子

千姫は、速水守久の義姪子である。故に、豊臣家最適任者として、守久は、千の教育係を務めた。そして、大阪夏の陣の最後には、徳川秀忠の陣へ、守久は、決死の覚悟で千姫を送り届けたのである。大坂夏の陣のさなか元服を済ませたばかりの守久嫡男『盛久(幼…

守久の両親

守久の父は、細川京兆家和泉国下守護深井城城主細川政賢の孫『速水時久』である。細川家の血を引いている。守久の母は、斉藤道三の末娘『蓮与』である。これは、どの学者が何と言おうと、どの歴史通がなんと言おうと、蓮与は斉藤道三の子である。子孫として…