速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

千姫は姪っ子

千姫は、速水守久の義姪子である。故に、豊臣家最適任者として、守久は、千の教育係を務めた。そして、大阪夏の陣の最後には、徳川秀忠の陣へ、守久は、決死の覚悟で千姫を送り届けたのである。大坂夏の陣のさなか元服を済ませたばかりの守久嫡男『盛久(幼名出来麿)享年14才』が武具を身に付け騎乗し、おとり隊大将となって戦い出た隙に、父守久は千姫を連れ出したのである。速水盛久(出来麿)は、大将の名乗りを上げ、敢無く徳川の一撃で落馬、重体の盛久は、家臣によって城内に運び込まれたが、敢無く戦死、城のどこかに埋葬されたと伝えられている。子孫として手がかりを探しているところである。