速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

2016-01-01から1年間の記事一覧

堀丹後守直竒 大坂夏の陣 勝敗の鍵を握った男 第一章 越後村上の誇り

【第一章 越後村上の誇り】 私が小学生の頃だったか、両親に連れられて、新潟から、「特急とき」に乗って、冷凍ミカンを食べながら、あの頃は、4時間半もかけて、東京上野へ遊びに連れて行ってもらったことがある。 上野公園につくと、先ずは不忍池のほとり…

越後、村上茶の起源

祖母が話していた、宇治茶の話である。 大坂城から逃れた、速水守久の三男保久、四男貞久、そして四男の母(守久側室)は、数名の家臣と供に、茶畑が一面に広がる、京都山城国の、とある農家に落ち延び、宇治村に隠生した。徳川の豊臣狩りから身を守るために…

日本画家・速水御舟は、四男家の子孫

大坂夏の陣の三年後、速水守久の四男貞久(=速水理右衛門)は、三男保久(=速水藤右衛門)と供に、越後村上藩堀丹後守直竒に引き取られた。守久と同じく豊臣秀吉近習で、守久の同僚であった堀直竒は、守久の遺児2人と、四男の母(守久側室)を村上城に迎え…