速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

大坂堺福田願成寺 大坂夏の陣のあと

速水守久が近江湖北速水郷から1614年に移転建立した大坂堺福田の真言宗『願成寺』は、大坂夏の陣の後、豊臣縁寺の為、徳川の焼打ちに遭い、半焼・廃寺のまま300年近くも明治になるまで放置されていた。

清和源氏の末裔近江願成寺28代目速水守久が移転建立したこの堺福田の願成寺には、天皇家菊御紋が彫られていたため、天皇家縁の寺として庶民には敷居が高く誰も手を出せないお寺として300年近く放置された。

江戸末期に堺の県行政によって願成寺の敷地20,000平米(2.2丁)が、寺のある部分を残し1000平米(1反)に減地され、他は農地開発された。明治になり、廃寺となっていた菊の御紋の願成寺は、浄土真宗大谷派に買われ修復されて現在に至る。故に現在でも願成寺の柱には菊の御紋が許されている。