速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

菩提寺は願成寺

速水守久菩提寺は、『願成寺』である。この『願成寺』は、1020年頃、清和天皇第六番目の王子貞純親王を父に持つ源経基王の末裔源頼季乙葉三郎入道)が、近江湖北速水郷に開基建立したものである。

1598年秀吉がこの世を去ると、世代交代により豊臣秀頼中老職となり豊臣秀頼金庫番を仰せつかった守久は、義従姉の淀を助け、国家安康を願い、広く寺社仏閣の修理修復及び寄進を行っていた。

1614年には、近江湖北の小谷城山裾にあった真言宗速水家菩提寺『願成寺』を、近江湖北速水郷から大坂堺福田(守久の寺・真言宗=父時久の宗派)と大坂和泉池田下(弟伝吉の寺・日蓮宗=斎藤家母蓮与の宗派)の2か所へ移転した。守久は、清和源氏の流れ足利・細川京兆家細川頼春の末裔であり願成寺28代目である。移転に伴い、寺の檀家衆は大坂堺と和泉へ総移住したという。

移築した『大坂堺福田願成寺』は、(速水兵右衛門)守久の為の寺で、堺油商人西村新左衛門の屋敷(斎藤道三の実家=守久の母方曽祖父の家)西村砦の一部に建立された。もともとこの場所は大和朝廷のお墓(山古墳)があった場所で、守久の先祖(和泉下守護深井城主細川政賢)が治めていた深井城があり、その後、守久が近江湖北速水郷の速水家菩提寺真言宗願成寺をここに移転した。大日如来像と速水家先祖を祀る寺である。