速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

真田幸村 大坂城へ入城

大坂の陣に向けて紀伊粉河で蟄居中の真田信繁を訪ね、豊臣に参戦するよう説得したのは、その時4万石の藩主(近江・和泉・河内)となっていた速水甲斐守守久である。

山から下りた真田信繁一行を、守久の寺堺福田の「願成寺」へ隠密のうちに囲い迎え、守久の曽祖父にあたる庄屋西村家(斎藤道三の実家=油の豪商)が真田一党の軍装を調えて差し上げたと伝えられている。真田一党は大坂冬の陣への出陣に向け「戦勝祈念」を兼ねて守久の願成寺に逗留し、西村の村民が接待した。守久親友の後藤又兵衛が招かれての三者密談が持たれた。

真田一党大阪城入城に際し、斎藤道三の一族(庄屋西村家)と西村の村民らが堺福田の願成寺にて炊き出しをして、真田一党の武運長久を祝し送り出したと西村家代々当主に伝えられてきた。