速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

2015-12-16から1日間の記事一覧

真田幸村 大坂城へ入城

大坂の陣に向けて紀伊粉河で蟄居中の真田信繁を訪ね、豊臣に参戦するよう説得したのは、その時4万石の藩主(近江・和泉・河内)となっていた速水甲斐守守久である。 山から下りた真田信繁一行を、守久の寺堺福田の「願成寺」へ隠密のうちに囲い迎え、守久の…

大坂堺福田願成寺 大坂夏の陣のあと

速水守久が近江湖北速水郷から1614年に移転建立した大坂堺福田の真言宗『願成寺』は、大坂夏の陣の後、豊臣縁寺の為、徳川の焼打ちに遭い、半焼・廃寺のまま300年近くも明治になるまで放置されていた。 清和源氏の末裔近江願成寺28代目速水守久が移転建立し…

菩提寺は願成寺

速水守久の菩提寺は、『願成寺』である。この『願成寺』は、1020年頃、清和天皇第六番目の王子貞純親王を父に持つ源経基王の末裔源頼季(乙葉三郎入道)が、近江湖北速水郷に開基建立したものである。 1598年秀吉がこの世を去ると、世代交代により豊臣秀頼中…