速水守久 子孫に伝わる物語

この記録は学術発表ではありません。大正6年生まれのお祖母さんが、思い出してはとつとつと語ってくれた家伝、400年前、別れ別れになった子孫たちが再会し、ようやくつながってきた歴史、あの日、大坂夏の陣の物語です。

2015-07-29から1日間の記事一覧

大奥の春日局は、はとこ

春日局は、速水守久のはとこ(母方の再従兄妹)である。 大坂夏の陣のあの日、守久は、義姪の千姫を徳川陣に届けた後、いとこ(義従弟)である徳川秀忠と、決死の交渉で守久が出した条件があった。 それは、秀頼と国松と淀の助命。これは大坂城に残る豊臣金…

細川家の血をひく印、通字について

守久の遺児(三男と四男)は、大阪夏の陣の後、処刑されず、越後村上城主堀丹後守直竒に引き取られた。守久より7つ年少である堀直竒は、元は豊臣秀吉の近習(近侍)であった。豊臣時代には守久を近習頭とする仲間であった。徳川の御世となり、将軍秀忠、将…